大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和51年(ラ)241号 決定

抗告人 村田康弘(仮名) 外一五名

主文

抗告人らの抗告を、いずれも棄却する。

抗告費用は抗告人(第一三〇号事件については承継人)らの負担とする。

理由

第一抗告人村田康弘(承継人村田善一、下田清子、村田恵子、村田輝男、寺本礼子)の抗告について。

一  抗告人(亡村田康弘)は、原審判を取消した上相当の審判をされたい旨を申立て、その理由とするところは、別紙第一の(一)(二)(略)のとおりである。

二  当裁判所の判断

抗告人(亡村田康弘)は被相続人亡中田洋太郎の異母弟で被相続人とは二親等の血族関係にあり、本来ならば配偶者および子らの直系卑属がない被相続人の相続人であるべきであるが、父義右衛門の認知を受けていないため、法的には相続権者になれないこと、しかし法的(形式的)には相続権を有しなくても、実質的に相続人に該当する親族の場合には、右身分関係の存在によつて被相続人との間に、特別縁故の関係を肯定することができると解すべきであり、他の特別縁故者に比較し抗告人には相続財産中かなりの額を分与すべきであると考えられないでもない。しかし他方、抗告人は明治四〇年ごろから被相続人とは没交渉で被相続人の死亡時までその消息も知らなかつたこと、被相続人がこれほどの資産家になるについては、父義右衛門の財産の存在も当初はその一原因になつたものと推認されるけれども、それ以上に被相続人の資質、手腕や努力等によるところが大きかつたと考えられることのほかに、被相続人の相続財産額、特別縁故関係の内容、他の特別縁故関係者への財産分与額、その他原審記録にあらわれた諸般の事情を総合考量すると、抗告人に対し被相続人の財産中より五〇〇〇万円分与する旨の原審判は正当である(なお、抗告人死亡後の承継人間に右分与額について分割の協議がととのえばその額、もし協議がととのわないときは法定相続分による)。

そうすると、原審判は相当であつて、本件抗告は理由がない。

第二抗告人植田健次郎、木川道子、竹田順子、植田律夫、井上夏子、川本良子、安田秋子、清村優子の抗告について。

一  本件抗告の趣旨と理由は、別紙第二のとおりである。

二  当裁判所の判断

抗告理由第一点について。民法九五一条ないし九五九条によれば、九五八条の二の規定は、同法九五八条による相続人捜索の公告期間内に相続人であることの申出をしなかつた相続人は、右公告期間を徒過すると同時にその権利を行使することを許さず、相続財産法人に対しては勿論、特別縁故者に対する相続財産分与後、残余財産が帰属すべき国庫に対しても、相続人としての権利を行うことができないものとした趣旨であると解すべきであつて、最終公告期間内に何人かが相続人の申出をし、かつその者の相続権の存否が訴訟で争われている間は、申出をしない他の相続人についても、その訴訟の確定時まで公告の期間が延伸されるものと解すべきではない。これを一件記録についてみるに、相続人捜索の公告期間は昭和四五年二月一三日をもつて満了しているところ、本件抗告人八名は、右期間満了後に相続権の申出を行つていることが明らかであるから、同抗告人らは同法九五八条の二の規定により、右公告期間の満了と同時に相続人たる権利を失権したものと認めるのを相当とする。

抗告理由第二点について。抗告人らは、壮吉は被相続人亡中田洋太郎の父中田義右衛門の養子であつて被相続人とは兄弟の関係にある旨主張するが、一件記録によれば壮吉と被相続人との身分法上ならびに相続法上の関係等から考えてみても、抗告人らの被相続人に対する相続権を認めるに足る証拠はないから、結局、右相続権を否定するほかはない。

抗告理由第三点について。一件記録によつても、抗告人らと被相続人との間においては、被相続人の存命中、特別縁故事由に該当するような交際等がなされたことが認められず、他に被相続人との間で特別縁故事由に該当すべき事実はみあたらない。よつて、抗告人らは被相続人の特別縁故者には該当しないものというべきである。

そうすると、抗告人らに対する原審判は相当であつて、本件抗告は理由がない。

第三抗告人村田智江、村田嘉代、村田貞子、村田靖子の抗告について。

抗告人らは、「原審判を取消す。本件を神戸家庭裁判所に差戻す。」旨の裁判または自判を求め、抗告の理由として、抗告人らは抗告人らの生計が今後立行くような審判を望んでいたところ、原審判は意に反したものであるので承服することができない旨主張するけれども、抗告人らが被相続人亡中田洋太郎と五親等の血族関係にあること、被相続人と抗告人らとは通常の親戚付合の範囲をこえた特別の縁故関係があつたが、他方、被相続人が一方的に抗告人らを援助し抗告人らに恩恵を与えた関係でもあつたこと、抗告人らの本件相続財産への寄与度、その他原審記録にあらわれた諸般の事情を考量すると、原審判は正当であつて抗告人らの主張は失当である。

そうすると、原決定は相当であつて本件抗告は理由がない。

第四抗告人山本多江子、谷崎誠の抗告について。

一  抗告人谷崎誠の抗告の趣旨および理由は、別紙第三(略)記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

抗告人谷崎の抗告理由について。原審記録によれば、同抗告人は被相続人とは五親等の親族関係にあると認められ、被相続人とは数回面接したことはあるようであるが、平素は被相続人とは格別の交際を行つていた様子はないことが認められる。そして、同抗告人と被相続人とは特別縁故の関係にあると認めるに足る事由はない。従つて、同抗告人の抗告理由は失当である。

次に、抗告人山本は「原審判を取消し、本件を神戸家庭裁判所に差戻す」との審判を求め、原審判は事実誤認、法令の適用に誤りがあり不当である旨主張する。同抗告人と被相続人とは、五親等の親族関係にあるが、原審記録によるも両者間に特別縁故の関係を認めるに足る証拠はないから、結局、同抗告人の抗告理由は失当である。

そうすると、抗告人らに対する原審判は相当であつて、抗告人らの抗告は理由がない。

第五抗告人財団法人○○○○協会の抗告について。

一  本件抗告の趣旨と理由は、別紙第四(略)記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

抗告人の抗告理由の要旨は、抗告人への相続財産分与額は少きに失する旨主張するのである。そこで考えるに、抗告人たる協会は昭和一三年一二月模範農場の経営とこれによる近代的農業を志す青少年の育成、各種産業における中堅青年ならびに青年指導者の育成等を目的として創設されたこと、被相続人亡中田洋太郎は、抗告人の創立後間もなく抗告人から評議員への就任方を要請され昭和一四年一一月右評議員に就任し、以後死亡時まで約四〇年間評議員をつとめた関係を有していたこと、その間被相続人は単に名誉職的な評議員の肩書を有するに止らず、具体的に種々抗告人のために尽力し、とくに昭和二〇年ごろまでの間においては抗告人の本部会館建設に際し建設委員長として活躍し、みずからも三、〇〇〇円以上の寄付をしたこと、その後も寄付こそしなかつたが、抗告人の設立趣旨や事業方針を理解してこれに賛同し強い関心を寄せていたことなどから考えると、抗告人は被相続人と特別縁故の関係にあると認められるところ、これらの事実に、被相続人の相続財産額、特別縁故関係の内容程度、他の特別縁故者への財産分与額、その他原審記録にあらわれた諸般の事情を綜合考量すると、抗告人に対し被相続人の財産中より七、〇〇〇万円分与する旨の原審判は相当である。

そうすると、原審判は相当であつて、本件抗告は理由がない。

以上の理由により、抗告人らの抗告をすべて失当として棄却し、抗告費用は抗告人(第一三〇号事件については承継人)らに負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 下出義明 裁判官 村上博巳 尾方滋)

別紙第二

抗告の趣旨

原審判を取消し、本件を神戸家庭裁判所に差戻す、との裁判を求めます。

抗告の理由

一 抗告人は、適法に相続人の申出を神戸家庭裁判所に行なつており、本件分与の申立は予備的に行なわれたものであるから、少なくとも、現在神戸地方裁判所に係属している昭和五〇年(ワ)第四八六号相続権確認事件の確定前に原審が審判を行なつたことは違法といわなければならない。

(1) 原審は、本件における相続人の権利主張の期限を昭和四五年二月一三日としているが、左の理由により、本件の相続権主張の催告期間は昭和四八年九月一一日まで延長されたと解すべきである。

すなわち、本件では、相続権主張催告期間内に相続人の申出を行なつたことが明らかである村田智江他三名が相続権確認訴訟を提起したが、かかる場合には、特別縁故者への相続財産分与の申立期間は開始せず、右訴訟の確定をまつてはじめて全員につき三箇月の申立期間が開始することとなる。

このことは、左の見解によつても裏づけられる。すなわち、「相続権主張催告期間(九五八)内に申出をした相続人について相続権の有無が争われている場合(たとえば死後認知請求中)には、相続財産分与の申立の期間はどうなるか、については諸説が考えられようが、相続権主張催告期間が満了しても全員について処分申立期間は進行せず、相続権について確定したのちにはじめて全員について三箇月の申立期間が進行する、と解すべきである」(注釈民法(25)五七〇頁)。

そして、民法九五八条の三第二項が「前項の請求は、第九百五十八条の期間の満了後三箇月以内に、これをしなければならない」と規定していることと対応させるならば、分与の申立期間が開始する前記相続権確認訴訟の確定時である昭和四八年九月一一日が、本件における催告期間の満了時と解すべきことになる。つまり、右のような訴訟が行なわれている限り、その確定まで相続権主張の催告期間は実質上延長されたことになるのであるから、その間に行なつた抗告人による相続人の申出は適法といわなければならない。

(2) また、仮りに、右のような催告期間の延長を認めることが困難であるとしても、少なくとも、右訴訟の確定までは、分与のための申立期間は進行しないのであるから、抗告人がそれまでの間に相続人の申出を行なつた以上、その相続権の主張を認めても、相続財産の分与を求めるべき特別縁故者らに対して何ら不測の不利益を与えることにはならないと解される。

つまり、昭和四八年九月一一日までは、本来的な意味において特別縁故者としての分与の申立は認められないわけであり、その時期は抗告人の相続人の申出によつて左右されるわけのものでもないのであるから、縁故者への分与のために相続人たる抗告人を除斥すべき理由は何ら存在しないといわなければならない。

(3) なお、以上の主張が理由ないとしても、本件審判をなすにあたつては、少なくとも、抗告人等が提起した相続権確認事件(昭和五〇年(ワ)第四八六号)の確定をまつて行なうべきであり、この点、昭和四五年六月二二日の期日において村田智江他三名による相続権確認「訴訟事件の結果をまつため」との理由のもとに、「次回期日は追而指定」とされたことと均衡を失するばかりでなく(相続財産管理人の意見書も、「本件相続財産分与申立事件につき前提となるべき申立人らの相続人であるか否かの判断は、上記民事訴訟の結果を待つべきものと考える」としている)、本件審判が確定するときは、抗告人は回復しがたい損害を蒙るおそれがある。

二 原審は、養弟を二親等の傍系血族と認定しているが、これは明らかな誤りであり、本件養弟縁組は、嗣子に非ざる養子を迎えるためのもので、壮吉は、被相続人の父中田義右衛門の養子であつて、被相続人とは兄弟の関係に立つものである。

(1) 元文元年以来、養子は嗣子のみに限られたが、嗣子以外の養子縁組の必要性はなくならず、慣行として嗣子以外の養子を迎える方法としての養弟縁組は絶えることがなかつた。つまり、養弟の意義は、嗣子に非ざる養子を意味するに過ぎず(新見吉治鑑定及び同著「旗本」二三四頁参照)、相続関係において実子に遅れるということを除いては養子と少しも異ならないもので、一親等の直系血族といわなければならない。原審は、第一種の養弟と第二種の養弟の区別を認めながら、第二種の養弟を二親等の傍系血族としたため、結果的に両者を混同するの誤りをおかしたものというべきである。

これを、本件に即して言えば、次のとおりである。すなわち、被相続人の父中田義右衛門は、番頭として先輩格であつた壮吉をさしおいて先代の養子となり家督を相続したため、壮吉の処遇を考えて、相続上自己の実子に遅れる養子として遇することとし、本件養弟縁組を行なつたものであるから、壮吉は、被相続人の父の嗣子に非ざる養子であり、一親等の直系血族というべきである。これを、養弟の弟の文字に拘泥してあたかも兄弟縁組の如く解することは、実態を無視するもはなはだしいというべきである。明治政府はこのような養弟縁組を不合理とし、服忌において無理に弟と扱うような指令を出したり、やがては廃止せしめるに至るが、不合理ではあつても養弟縁組の性質はその当時の人々の論理において理解すべきものである。徳川期の身分制度と生活実態に通じる新見吉治博士は、養弟もまた養子であるとの鑑定を下しておられるが、原審判は何等の理由を加えることもなくこれを無視し、さらには利谷鑑定人が合理主義的思考のもと第二種の養弟には兄弟の要素と親子の要素の二つが含まれるとしているにかかわらず(これは本来両立しがたいものであり合理主義的分析の破綻を意味するが)、一方的に親子の要素を切り捨てるという独断をおかしている。要するに、養弟縁組は嗣子に非ざる養子を迎えるという目的が中心なのであるから、その目的自体から性質を決定する以外にないものであり、相続において実子に遅れることの性質を弟の要素であるとすることは実態からは非常に遠ざかる分析であつて、実態をそのまま論理的に把握するとすれば、相続において実子に遅れる養子と解する以外にないものである。かつて大審院は、養弟よりも制度的に養子の性格の薄い縁女をすら実体に即して養子と認定したが(大審院明治二九年三月三日判決民録二輯三巻五頁)、このような実体に即した判断は、旧制度を把握するうえで欠かせない態度であり、本件養弟縁組の経緯に照らし、壮吉は被相続人の父の養子(相続に関しては実子に遅れるが)であり、被相続人とは兄弟の関係に立つといわなければならない。

(2) なお、原審判は、養弟関係の一身限りのものと解しているようであるが、原審も引用する明治三年二月の立花家の養弟縁組にもみられるように、養弟との身分関係を断つためには離縁をすることを要し、離縁なき限りは養弟及びその子孫は直系血族としての関係を続けることになるわけで(それ故に服忌の伺が必要ともなる)、本件において壮吉を分家させたことは、一身限りでないことの証左といえよう(分家からも本家を相続しうることについては、新見博士鑑定参照)。

三 抗告人は、民法九五八条の三の特別縁故者に該当するというべきである。

(1) 前述の如く、被相続人の父中田義右衛門は、壮吉を嗣子に非ざる養子とし、自己に実子が生まれないか、または死亡したときの唯一の相続人とすべく(立花家の養弟縁組参照)養弟縁組を行なつたものであり、義右衛門も妻あさも壮吉の直系を唯一の分家である最近親者と扱い、被相続人もまた壮吉の直系である植田カツや夫清次郎、またその子や孫である抗告人らを同様に遇してきたものである。そして、実子である被相続人が死亡し、それに直系がいなかつた場合には、その時こそ分家である壮吉の直系の抗告人らが相続してこそ所期の目的にそえるわけである(原審は、養弟が相続する場合、選定が必要のように解しているが、養弟はその目的から選定をまたずして相続人となることは、立花家の例からも推測しうるというべきである。なお、分家からも本家を相続しうることについては前記新見博士鑑定参照)。

(2) かつて、植田カツは分家の直系として、中田家と密接な親族つきあいをし、被相続人も他人にまかせられない債権証書等の虫干しをカツに行なわせ、この中から債権を分け与えることを約し、夫清次郎も被相続人に代わつて債権の取立等を手伝つてきたが、仕事の関係で清次郎等が東京に移つた後も互いに助けあい、カツの孫たちも中田家に連れられていつている。しかし、不幸にして第二次大戦で中田家も植田家も戦災にあつて互いに消息がわからなくなつてしまつたが、分与申立人村田康弘よりは、はるかに深い縁故のつきあいをしてきたものであつて、現在の相続法上仮りに抗告人に相続権が認められないとした場合は、特別縁故者として相当額の分与を認め、養弟縁組の目的を実現させてこそ、特別縁故者制度を生かすゆえんであると考える。この点において、原審判は、著しく恣意的であり、不均衡のそしりをまぬがれない。

(3) なお、原審は多くの申立人による相続財産分与申立に対して審判を行なつているわけであるが、その審判結果は、あまりにも管理人の意見とへだたつており、その妥当性を疑わせるものがある。家事審判規則一一九条の五にいう管理人の意見聴取の制度は、その意見が審判官を拘束するものでないとしても、このようにもくい違うことは異常というほかない。抗告人の主張を検討される一環として他の申立人に対する審判結果をもあわせて検討され、審判結果の妥当性に疑いがもたれる場合には、原審に差戻されるべきであると考える。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例